【見逃し厳禁】本 オールタイムベスト 第一弾
オールタイムベスト小説ということで海外小説を以前にピックアップしました。
⬇︎小説オールタイムベスト 海外小説
https://gegegenobacabon.hatenablog.com/entry/2020/01/25/053533
今回は私が特に好きな小説/本をピックアップします。まずは第一弾。
『推定無罪』スコット・トゥロー
映画を観て面白かったので小説も読んでみたいと手に取りました。読んで良かった。映画を観て結末を知っていたのに最高に面白い。
「推定無罪」の続編「無罪」も面白い。続編は「推定無罪」から21年後という設定。同じ過ちを繰り返し立件され法廷劇となります。
リーガルサスペンスものでは一番面白いです。海外でも評価が高いそうでスコット・トゥローが元検事であり、法廷劇の複雑な裁判員制度を素人でもわかるようにストーリーに落とし込んでいます。
「推定無罪」では脇役だった弁護士が主人公のスピンオフ「立証責任」も面白い。
スコット・トゥロー作品は情念みたいなものがついてまわる。他の作品にはない人間臭さが付き纏う。時代が変わっても人間の本質は変わらないんじゃないかと思わせてくれる…ある意味、教訓。そんな作品。
ただ残念なのが絶版が多いこと。また新たに新装版出してほしい。出すなら検事や弁護士に監修してもらってください。より良いものができると思います。
『密林の語り部』バルガス・リョサ
2010年マリオ・バルガス・リョサがノーベル文学賞を受賞した。それまでこの作家のことは全く知りませんでした。ラテンアメリカ文学と聞いてパッと思い浮かぶのはボルヘスやガルシア・マルケス。南米文学特有の死生観で描かれる小説は日本の死生観と相性がいい。バルガス・リョサの小説は他のラテンアメリカの作家より読みやすく、能のような幽玄さが気に入ってます。
バルガス・リョサは本書刊行後、チリ大統領選挙に出馬します。残念なことにアルベルト・フジモリに敗れ再び作家業に戻ります。復帰後も素晴らしい作品を精力的に出されています。
本作は予備知識なしで読むとあっと驚く展開が待ってます。この体験は今まで経験したことがない何か特別なもの、小説というよりも新しいジャンルができたような感覚。是非手に取って頂きたい。あえて何も言いません。素晴らしい読書体験が待ってます。
『華の碑文: 世阿弥元清』杉本苑子
こちらも絶版。(出版社さん新装版で出されてはどうかと…)
世阿弥の弟(音阿弥、子供がいなかった世阿弥が甥の音阿弥を養子にします)が語り部になり世阿弥と猿楽、室町時代の政治と社会との関わりを描いた傑作。室町時代といえば戦が絶えない混沌とした世界。僧も武装している今では考えられないような世界。武装だけに止まらず欲だれけのエゴの渦の中の社会。世阿弥は僧兵の性欲を満たす為の道具にされてしまいます。当時は芸事を営むものは河原者として差別されており、何をされても文句が言えない立場として生きていました。身分制度や差別から生じる暴力が冒頭からあからさまに出てきます。目を覆いたくなるような描写の連続。差別や偏見、死と隣り合わせの生活から滲み出てくる芸能が猿楽となり、後の能に昇華されていく過程を描いています。
今でこそ世阿弥ありきの能ですが江戸時代までは世阿弥はまったく評価されていませんでした。世阿弥は将軍足利義満に擁護されていましたが権力者が変わり歴史から抹殺されます。義満といえば金閣寺を建てた金持ちという印象、南北朝を治めた実力者であり、出家後も権力を握っていました。公家としての教養もあり、和歌、連歌、猿楽を愛好した世阿弥のパトロン。義満死後、次の将軍義持は世阿弥より増阿弥を愛し、義教になると世阿弥の弟であり語り部の音阿弥を贔屓にします。義教は無慈悲にも世阿弥を佐渡へ島流しにします。
諸説ありますが…佐渡へ島流しされた後、晩年は京に戻って音阿弥と暮らしたとされてます。小説ではその設定で描かれるのですが、佐渡からは戻れず亡くなったのではないか、戻れるチャンスがあったにもかかわらず、あえて戻らなかったのではないかと…
世阿弥の父親の観阿弥が築いてきた猿楽を息子である世阿弥が猿楽と狂言をブラッシュアップさせ能として確立させました。しかし権力に翻弄され失意のまま亡くなった。学問というのは大事だと思いますね。記録さえ残っていれば後々の学者が研究し評価も変わります。芸能と政治の狭間で犠牲となった芸術家の悲劇を丹念に描いています。
さらに世阿弥の芸術論もしっかり取り入れられた小説です。シェイクスピアより200年も前に貴族や権力者を魅了していた日本の演劇が能です。
「陰陽に和するところの境を成就とは知るべし」
演じる際に晴天であれば観客の気持ちは昂っているので抑え気味に演じ、雨風強ければ観客は萎えているので派手に舞え。観客の気持ちやその場の空気感を読んで立ち回る芸人だったんですね。
「花は心の工夫、その花を咲かす種は芸力の錬磨」
善くも悪くも他者の気持ちに寄り添い、それに報いる為に鍛錬を怠るなと。大衆芸能の祖ですよ。
「衆人愛敬」誰からも愛されること。特定の人だけわかるようなことはしない。自分相応の工夫をしろと言ってます。寄席の芸人ですね。
世阿弥曰く「猿楽は元は神楽、末代諸々の人々の為に神の示偏を取り除き申楽とした」。
庶民の娯楽として定着させました。それをときの権力者が擁護していた。権力者は風刺劇も笑って見過ごしていた。芸人と権力者の構図が出来上がっていたということです。今の権力者に靡く報道番組やバラエティ番組とは大違いですね。どちらかというと米国のスタンダップコメディやサタデーナイトライブに近いんじゃないかと…
はなしは外れましたが、世阿弥の生涯を物語で読むには一番オススメです。あわせて「風姿花伝」も読むと考え方や物事の捉え方も変わります。読んで良かったと思わせてくれる良書です。
今回の第一弾は、人間はどうしようもないクズ。本来、人間はクズとわかっていながらも、大自然と一体化したような捉え方をしていたんじゃないかと気づかせてくれる本をピックアップしてみました。
アマゾンのシャーマンや日本の神話も地続きで元を辿ればアジアやアフリカに行き着きます。アマゾンの原住民の先祖達はアジアから海を渡ったりアラスカを経由して旅をしながら南米まで行ったと言われています。SF小説ではないが時空を超えた教訓のようなもの。能もある意味では時空を超えたシャーマニズムのようにも感じます。悲劇や喜劇を演じられる芸人や語り部が反面教師となり教えてもらっているように感じます。単なる転生ものや幽霊話ではない奥深い人にやさしい情念のような何かを教えてくれているように思います。