デス・ストランディング 考察21 クリア後の感想 フラジャイル

フラジャイルに関して

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 発売日前のフラジャイルの考察は以下の「考察15」ご参考までにどうぞ。

https://gegegenobacabon.hatenablog.com/entry/2019/09/22/013959

 

 フラジャイルの設定に関しては、ゲームや深夜のアニメに出てくるような女性に似ています。サムに助言するところまではストーリーの関係上、仕方がない。ファストトラベルの要素も含めたキャラクターなのですが、サムのピンチを助ける使い勝手の良いキャラクターという設定で終始しており、好感もてません。ラスト、サムに「ウチに来るか」と催促しますが、立ち位置がよくわからない。そもそも恋愛感情もヘッドハンティングの意思もないやろと思うのです。行き当たりばったりで子供っぽい印象を与えています。

 フラジャイルとヒッグスとの関係性として、過去にヒッグスに拘束されたエピソードが描かれます。解放の条件は、爆弾を放置したまま逃げるか、それとも、下着姿で爆弾を抱えたまま、裸足で逃げるという条件を提示します。さらに、とき雨で皮膚がダメージを負うので顔だけはマスクをつける。どちらの選択も残酷ですが、その条件おかしくないか?っと思いますよね。単に、その場から逃げるか爆弾を抱えたまま逃げるかの選択でいいのでは思うのです。

ファストトラベルが使えないのであれば、どちらにせよ、とき雨に濡れるわけですし、この状況では爆発は免れない。爆弾を選ぶのは当然です。

 下着姿で走れというくだりそのものが要らない。何を求めているのかが分からない。顔をマスクで隠して雨に濡れないようにするのも、顔は残して肉体を亡き者にしようとする行為で何が言いたいのかがわからない。服は脱がさず雨ガッパでいいのではと思います。

 つまり、死んでしまったママーの肉体をハートマンのところへ運ぶ表現と同じで、肉体に執着しているように思うのです。まるで女性の肉体を道具のように誤解を与えかねない表現にしている。あえて、そのような表現にするのならば別の表現があったのではと思います。恨みがあるのであれば、顔を殴ったりナイフで傷つけるのが定番なんですが、顔を傷つけないところに一種独特の異常さ、気持ち悪さ、悪く言えばサイコパスを感じます。怨恨ではなく青臭さを感じます。要は、そのテロ行為に意味があるのかわからない。こじつけがましいということです。

 例えば…フラジャイルの過去をヒッグス交えて描くのであれば、小島さんが再三言っておられる安部公房「なわ」の子供に置き換えて描くべきです。子供2人は兄弟ではなく子供時代を共にすごした兄弟のような関係という設定に書き換え、同じ罪を負わせる。フラジャイルは育ての親から虐待され傷を負う。この地獄のような苦しみから抜け出す為に2人で協力し親を殺す。殺したことは2人だけの秘密。その後、フラジャイルは民間の配送会社の社長に引き取られ、ヒッグスはブリッジズ運営の孤児院へ送られる。大人になり2人は同じ罪を負った者として再会する。家業を継いだフラジャイルは社会との繋がりがあり、かたやヒッグスはブリッジズから抜け出しているので社会から排除された弱者となり、アメリに唆されテロリストとして利用される。

つまり、サムのストーリーと平行して、ヒッグスとフラジャイルは、同じ境遇で育ち同じ罪を背負った子供時代を背景に、大人に成長してからの人間社会に溶け込んでいるフラジャイル(社会適合者)と人間社会からはみ出してしまったヒッグス(社会不適合者)との対比を描けば、ヒッグスがひきこもった理由も少しはあきらかになりますしフラジャイルの体の傷も根深いものとして社会問題を描くことができたと思うのです。上記で述べたフラジャイルとヒッグスの爆弾騒ぎも描く必要はなくなります。

イルカになりたかったジャックマイヨールとマイヨルカの関係性に似ています。人間社会に戻ったマイヨルカとイルカの世界に行ってしまったジャックマイヨールという対比です。

 まあ〜素人の妄想ですので説得力は欠けますが…安部公房「なわ」のオマージュとヒッグスのひきこもりの原因も描くことができると思います。この妄想のほうが気持ち悪いかぁ。少なくともヒッグスの人間性サイコパスではなくなるはず。🤫🙏🏻

 

 それはさておき、フラジャイルで性差別を描くと予想してました。(詳しくは考察15)

例えば…フェミニズム

ハンドメイドテイル/侍女の物語

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もっとわかりやすく言えば、マッドマックス・フューリーロード。これらフェミニズム映画をオマージュすればよかったと思います。

 フラジャイルそのものの表現が、某ゲーム会社からの嫌がらせや世間からの誹謗中傷やバッシングという雨(とき雨)に打たれ身も心もボロボロになった様を描きたかったという意図は掴めるのですが、キャラクターの立ち位置が不安定な別の意味での壊れ物になっています。その思いが強いあまりキャラクターとして独り立ちできていません。

爆弾で都市が壊滅してしまう規模のテロ行為なら下着姿で爆弾を持たせ走らせるようなことは、まずさせない。単なる悪趣味です。爆弾を体にくくりつけ人間爆弾として拘束されているならまだしも、テロ行為そのものはいたるところで突然行われるわけですしブリッジズの巨大な組織がヒッグスのテロ行為を察知していないのも不思議です。フラジャイルのエピソードは強引かなと思います。